曲は"Killer Queen"。
このコーラス部分を耳にして新しい地平が開けたような気がした。
その後、なかなか全曲かけてもらえない"Bohemian Rhapsody"とか"Somebody To Love"とか、もっと聞かせろと思いながらラジオにすがっていたような…。
当時、Queenはビジュアル・バンドとされていた(多分)が、ミュージックビデオなんつーものが目に触れる時代でもないし、近所に本屋もなかったので、長らく彼らのルックスは知らずに音だけに溺れていた。
ある時、友達が持ってきた音楽誌で、彼らのグラビアを初めて見た。
どこが美形? 世の中間違っている!
乙女の夢は打ち砕かれたわけだ(^^;
さて、義務教育期のねこまたぎ家は「必要なものは親が買う」ということで、すずめの涙程度の小遣いしかもらってなかった。そんなはした金でレコードを買えるわけもなく、せいぜいファンシー文具に費やすのが関の山、文庫本だって夏休みにおばーちゃんちに行った時にボーナスをもらって買うのがせいぜいであった。
そんなこんなで、「華麗なるレース」時代の来日公演も知らず(知ってたとしても行けるわけ無し)、初めてお年玉で買ったアルバムは"News Of The World"(世界に捧ぐ)。ライナーについていたメンバーのあまりにもくたびれたルックスに、愕然としたものであった。
LP(CDじゃないよ)なんて、年に数枚しか買えなかった当時、せっせとノートに歌詞を書き写し、なけなしの知識で辞書を引きつつ訳してみたり。
あの頃はまだ完了形っつー文法を知らなかったので、どうにもならずに"We Are The Champions"の一節を英語の先生に聞きにいったら喜んで教えてくれた。が、調子にのって"Get Down Make Love"を聞きに言ったら「そんなことしてないで受験勉強しなさい」と言われて教えてもらえなかった。
…先生は20代の未婚女性であった。今思えば先生にとっても衝撃だったかも(^^;
その後、お年玉をもらうたびにQueenのLPを買って、アルバムごとにまるで世界が違うことに驚愕しつつ、幾星霜、ついに彼らの来日公演が実現。「ライブ・キラーズ」時代である。ビジュアルは見たくないといいつつ、やっぱり武道館へ出かけていった。
おぅ、フレディー、やっぱりあなたの歌はレコードがいいです。不謹慎なファンでごめんなさい。
そしてQueenのNo Synthesizer時代は"Jazz"で終わり、ねこまたぎのQueen熱もここで終わるのである。
>>> "The Game"以降
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